このページの本文へ移動
色合い 標準 青 黄 黒
文字サイズ 標準 拡大 縮小
RSS
トップ歴史放談船橋の歴史> 津波・大震災

津波・大震災

大正6年の大津波

現在の船橋地方は自然災害の少ない地域であるが、海岸堤防が弱小であった昭和中期以前は、海沿いを中心に暴風・津波(高潮)のために大きな被害をこうむったことが何回もある。

 

明治以後、最大の被害を受けたのは大正6年(1917年)の大津波である。この津波は現在でいう地震の津波ではなく、高潮と暴風雨によって起ったものである。

 

『日本歴史災害事典』(吉川弘文館)の「大正6年東京湾台風災害」によれば、多摩川から千葉県東葛飾郡にかけての被害は、死者1,127人、行方不明177人、全壊家屋36,459棟、流失家屋2,442棟である。

 

津波をもたらしたのは9月30日夜から10月1日朝にかけて、急速に東日本を通過した台風であった。台風は静岡県に上陸して東京西部を通過したが、東京では気圧952hPa、最大風速43mを記録している。そしてこの台風は、東京湾の西側を満潮時近くに通過するという、最悪のコースと時機を取ったのであった。

 

この災害の千葉県の資料として、当時の東葛飾郡役所編輯兼発行の『大正六年暴風海嘯惨害誌』があり、その船橋町・葛飾村周辺の記事は『船橋市史・史料編9』に収載してあり、かなり詳しく知ることができる。それから引用すると、船橋方面では29日より30日は時々篠突くような豪雨があったが、30日夜は一時止んだ。夜中の2時、3時になると暴風が吹きつのり、おりから十五夜の高潮時となったので海水が海嘯(津波)となって沿海陸地に侵入し、人家多数と水田数十町歩(1町歩は約1ha)を荒らした。翌朝海岸地帯をみると船町・台町・東納谷・西納谷の地には流失木材、屋根の茅、家具、それに船舶(多くは漁船であろう)が積み重なって丘のようになっていた。

 

葛飾村方面でも夜中の2時半から3時40分頃までの間に津波が2回襲来し、耕地一帯に流失物が積み重なった。

 

この暴風・津波による当地方の被害は甚大で、船橋町で死者・行方不明者62人、流失家屋104戸、全壊家屋44戸、床上浸水814戸に上り、葛飾村では死者2人、流失家屋13戸、全壊家屋13戸、床上浸水56戸の被害をこうむった。また、内陸の八栄村・塚田村・法典村でも全壊家屋が21戸あった。

関東大震災

大正12年9月1日午前11時58分、関東・東海地方は突如激震に見まわれた。相模湾の地下を震源とするマグニチュード7.9の大地震が起きたのである。被害は全壊家屋約12万戸、焼失家屋約45万戸、死者・行方不明者約14万2千人に及ぶ。特に被害の大きかったのは東京府・神奈川県・千葉県南部で、船橋地方は家屋の一部破損程度で済んだ。『大正十二年船橋町事務報告』の「震災罹災者救護事務」を抄出すると次のようであった。「(略)大地震起リ爾後数回ニ亘リ強震アリシモ、当町ニハ幸ヒニシテ其災害少ナク、一部海面ノ堤塘破壊シタルノミナリ   日没ニ至リ帝都ハ震災ニ伴ヒ忽チ四方ヨリ大火焔起リ(略)午後七時本県内務部長ヨリ電話ニテ直チニ帝都罹災者ヲ救護ス可ク命ニ接シ(略)吏員全部ノ非常召集ヲ行ヒ(略)第一救護所ヲ蓬座、第二救護所ヲ尋常高等小学校ニ置キ、(略)消防手、青年団員及処女会員、学校職員ノ援助ヲ受ケ、六昼夜不眠不休、全町ヲ挙ケテ罹災者ノ収容ニ務メ、尚引続キ十月十八日迄救護ニ従事ス(略)

 

    収容人員合計二千十一名(略)

    収容延人員一万二千百五十九名(以下略)

 

千葉県の関東大震災については、昭和8年に千葉県庁社会課内の千葉県罹災救護会から『大正大震災の回顧とその復興』上・下巻という大部の本が刊行されている。それによると船橋町の被害は、建物は小学校の壁の亀裂や腰板の破損程度であった。産業上の被害は水産業がひどく、重油様のものが東京湾一帯に広がり養殖貝、自然発生貝の死滅したものが夥しく、また魚類は臭気がひどく食用にならないので、漁業者は約1か月休業の状態であったという。なお収容所については蓬莱座は9月1日~25日、九日市尋常高等小学校は9月2日から14日が開設期間と記されている。

 

船橋町以外では、二宮村が津田沼鉄道第二聯隊材料廠と習志野高津廠舎の収容所の中で、628人が引受人員であった。八栄村は寺院と公会堂を収容所とし、200人を9月2日~10日まで収容した。葛飾村は第一収容所が小栗原妙円寺(9月1日~21日、延人員728人)、第2収容所が西海神吉祥院(9月1日~7日、延人員457人)であった。

 

大地震の数時間から翌日にかけて、東京と周辺では社会主義者や朝鮮人が暴動を起こすとか、放火や井戸に毒を入れるという流言蜚語が広まった。そのため、各地で治安維持にあたるためと称する自警団が組織された。

この自警団を中心とした朝鮮人虐殺事件が、千葉県では船橋を含む東葛飾郡で多く引き起こされた。『現代史資料6関東大震災と朝鮮人』(みすず書房)の「十九政府による事件調査」には「九月四日午前十一時頃、船橋町警察署附近、十数名。午後四時頃、同町九日市避病院前、三名。午後四時頃、船橋町九日市、三十八名」の殺害事件が記されている。


掲載日 令和8年5月18日