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トップ歴史放談船橋の伝説> 七経塚と弁天の大蛇

七経塚と弁天の大蛇

これは船橋市と市川市にまたがる話である。

今から700年あまりむかしのこと、中山の堂で日蓮上人が百日の説法をなさった。尊い話だというので、近隣の村々はもちろん、遠方からもたくさんの人が聞きに通った。

その中に、田舎ではまれな、真っ白な肌をし、黒髪を結い上げた、まことに美しい娘がまじっていた。付近では見かけたことのない娘なので、人々はどこの娘だろうと噂し合っていた。娘は100日の間、1日も休まずに通い、最後の日に上人に厚くお礼をいった。しかし、上人は法力で、娘から立ちのぼる「気」を感じて、その正体を見破った。なんと娘は古作の弁天様の池に住む大蛇だったのである。大蛇はその正体を現わし、その瞬間、あたりには黒雲が立ちこめ、激しい風も吹き出した。人々が驚いて跡を追うと、大蛇は七枚の鱗を次々と落として逃げて行った。その鱗の跡が、市川市若宮の畑の中に残る七経塚だという。

ところが、この話には別説もある。

娘の正体は市川市北方の旧称千束の池に住む白蛇だという話である。娘は説法の最後の日、上人にお礼を述べ、経巻と法名を下さいと願ったのだが、正体を見破られ、花瓶の水をかけられて蛇身を現すと、八巻のお経を奪って逃げ、途中、次々と七巻のお経を落として、千束の池に逃げ込んだというもので、七経塚はその時の跡だと伝える。

お経の最後の一巻は池のかたわらの桜の木にかかっていたという。

後に日蓮上人は、その蛇を弟子のひとりに加え、「妙正」の法名を与えたので、やがて池の上の地に妙正寺という尼寺が建てられ、桜の霊場として知られるようになったという。

掲載日 令和4年3月1日