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徳川家康と船橋

徳川家康は、実際に一度だけ船橋御殿に泊まったことがあるが、地元には家康と結びつけたいろいろな伝説が残されている。

まず、船橋大神宮の子ども相撲は、現在も行われている行事であるが、これは家康が船橋にやって来た時、子どもが相撲をとっているのを見て、たいへんおもしろがり、大勢の子どもを集めて相撲をとらせたことに由来するという。

次に船橋の海は江戸時代の前期には、将軍家の台所に鮮魚を献上する御菜の浦であったが、これも家康が船橋御殿に泊まった時に献上した魚がたいへんうまかったので、以後も献上するように言ったためだと伝えていた。

さらに、家康が泊まった晩、船橋は大火に見舞われてしまったが、この火事は家康の命をねらった賊が、夜陰に乗じて火を放ったものだという。その時に家康は鉄砲で撃たれたが、大神宮の宮司が機転をはたらかせて危機を救った。家康は「おかげで助かった。褒美として何でも望みのものをつかわすから後日申し出よ」と言って感謝した。ところが、後日宮司が申し出ると、家康は「わしはそのような事を申した覚えはないぞ」ととぼけて言ったそうである。けちな家康は褒美を与えるのが惜しくなって、嘘をついたのだとされている。

掲載日 令和5年1月4日