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夏見城址と雪つもらず

夏見城址の右奥にあき屋敷、あるいは観音堂跡といわれる一角があり、北・西の二辺が土塁で囲まれている。この土塁は、かつてここが城であった名残である。

 

夏見には戦国末期の永禄年間(1560年代)前後に、夏見加賀守政芳という殿様がいたと伝えられる。夏見加賀守は長福寺の中興開基とされる武将であるが、永禄6年(1563)の合戦で戦死したという。この政芳夫妻の墓と伝える塔が、境内の墓地にある。

 

次に、夏見城址の東北隅の土塁が一たん低くなった東側には塚のようになっている部分がある。この部分は雪つもらず、あるいは雪解塚といった。それは雪が降っても、この部分には全く積もらずに解けてしまうことからついた名だという。現在ではこの上には妙見尊を祀っためずらしい石祠が置かれている。


掲載日 令和5年10月1日