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トップ歴史放談船橋の伝説> 景行天皇と船橋

景行天皇と船橋

船橋という地名の由来伝説は、前の日本武尊にかかわる話が有名であるが、父君景行天皇に結びつける伝説もある。
 
景行天皇は、亡き日本武尊の行跡をしのんで東国を巡られた。天皇御一行は安房の浮島に到着した後、上総を経て葛飾野で狩りを催された。その後、当地方においでになった時は、折しも春で里人は春の若菜を摘んでいた。
 
お着きになった天皇は、ここの土地を何と呼ぶのか知りたいと思われ、里人に「ここは何と申すのか」とおたずねになった。ところがたずねられた里人は都の言葉がよくわからなかったので、てっきり若菜摘みのことを聞かれたと思い、「なつみ」とお答えした。それでこの土地はなつみと呼ばれるようになったという。
 
さて、天皇はお帰りになる時に夏見から、反対側の丘の方へ行こうとされたのだが、当時の夏見の前面は海が入り込んでいて、ちょうど内海のようになっていた。そのため船を使って渡られることになったが、なにしろ御一行は多人数であったので、船は夏見から対岸まで並ぶようなありさまとなり、まるで船の橋のように見えた。そのために船橋の名が起こったという。

掲載日 令和3年2月9日