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舟橋様

舟橋様は里見八犬伝で有名な里見家の家来で、名を舟橋左馬之助唯久といった。里見家滅亡の時、義を守って切腹しようとしたが、里見家から「姫を守って生きのびよ」という書状が届けられたので、左馬之助は義ならずもそれに従った。そして言いつけを守り、姫を守って生きのび、やがて船橋の宿を開いて繁栄の基を築いた。
 
後に彼が亡くなった時、里人はその忠義の心をしのび、石塔を建てて供養するとともに、舟橋様と呼んでうやまった。後にその場所には寺が建てられ、舟橋山西福寺と名づけられた。宿(しゅく)もまた開宿の舟橋様にちなんで船橋と呼ばれたという。
 
寺は今も残る宮本6丁目の西福寺、石塔は県指定文化財となっている宝篋印塔だと伝えられる。
 
ただし、この宝篋印塔には違う伝説もあり、この塔は江戸時代中期の勤王の公家船橋則賢の墓だという。則賢は反幕府的言動の罪によって当地に流罪になったというのである。

掲載日 令和3年2月9日