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トップ歴史放談船橋の伝説> 日本武尊と船橋

日本武尊と船橋

日本武尊(やまとたけるのみこと)は、朝廷の命令に従わない部族を征討するために、父君景行天皇の命を受けて東国におもむき、駿河・相模を平定した後、三浦半島から走水の海を渡って、木更津(君不去の伝説で名高い)に上陸した。
 
その後、尊は今の東京湾に沿ってこの地方にやって来た。ところがこの地方の台地、葛飾野には手ごわい敵が待ちかまえていて、容易には服従しなかった。そのうえ折からの日でり続きで、尊の軍は大へんな苦戦となってしまった。
 
そこで尊は雨乞いをすることを思い立ち、夏見の高間原(日枝神社周辺)で雨乞いの儀式を行った。するとたちまち黒雲が生じて、海の方にたなびいた。その時、海上に一隻のあやしい船が見え、船の中には何か光り輝いているものがある。尊は土地の者に「あの船の様子を見て参れ」と言いつけて見にいかせたが、船の中が不気味に光っているので、こわくて近よることができなかった。そこで尊が自ら船に乗って行ってみると、船の中に八咫鏡(三種の神器の一つ)と同じ鏡がかかっていて、光り輝いているのであった。
 
尊はその神鏡を浜に持ち帰って、その場所に新しい宮を建ててまつった。このことから、宮付近の場所は海神と呼ばれるようになった。
 
さて、雨乞いの祈りの効験はすぐあらわれ、まもなく雨が降り出したので、尊の軍は元気をとり戻して敵地に攻め込み、敵をさんざんに破ることができた。
 
ところが今度は、祈りが効きすぎたのか大雨が降り続いて洪水となってしまい、神鏡をまつってある宮へ行くことができなくなってしまった。
 
そこで尊はあれこれ考えた末、船を並べて橋にすることを思いついた。はたして、やってみるとうまくいって無事に宮のある場所へ渡ることができた。そのため船橋の名が起こったのだという。

掲載日 令和3年2月9日